2005年 フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ
イスラエル占領地ヨルダン川西岸ナブルスに住むサイードとハーリドは、自動車修理工として働くごく普通のパレスチナの青年です。
ある日、サイードとハーリドは過激派組織から自爆テロの実行役に任命されます。
正義も自由も奪われたら人は戦うしか無い、そして武器を持たない自分達は己の肉体を武器にするしかにないと教え込まれ、自爆による殉教だけが自由を勝ち取る唯一の方法であると信じる2人は、当然のことのようにその役割を引き受けます。
計画では、境界のフェンスから侵入して案内役の手引でテルアビブの中心地に行き自爆することになっていました。
2人は体に爆弾を巻きつけ、結婚式の招待客を装うために黒のスーツに身を包み出発します。
しかしフェンスを越えた直後にイスラエル兵に発見され、2人は早々に引き返す羽目になってしまいます。
翌日、2人は改めて計画の実行のためテルアビブに向かいます。
今度は無事に目的地にたどり着きますが、実行の直前、突然ハーリドが自爆テロは間違っている、もっと別の方法があるはずだと言い出します。ハーリドの意見に従い、2人は案内役を呼び戻すことにします。しかしサイードは、待ち合わせ場所にやってきた案内役の車にハーリドだけを押し込み発車させます。
そして単身、イスラエル軍の兵士や市民で満員のバスに乗り込むのです。

無音のエンドロールがサイードの最期を予感させます。
アメリカ映画では、CIA等がパレスチナ過激派のテロ計画を潰すために活躍するといった作品しかありませんが、この作品は、そのパレスチナの人々の目に映る世界を描いた貴重な作品です。
軍事力ではイスラエルに到底太刀打ちできない絶望的な状況において、なお自分達の意思を表すためには自らの肉体を武器にして相手にダメージを負わせるしかない。自爆テロはともすれば狂信的なイスラム教徒の犯行と受け止められがちですが、「窮鼠猫を噛む」思いであることが分かりました。
スーハ(あらすじでは割愛していますが、サイードが密かに心を通わせる女性)はパレスチナ問題にも理性的な解決方法があるはずだと主張しますが、サイードはそれは空論だと反論します。しかし実際のところ、そのどちらも正解ではないことに彼らは薄々(またはとうの昔に)気づいています。いわば正解がない問題に正解を求める、そんな辛い堂々巡りが続いているのだと思います。
(私はパレスチナ問題について詳しくないので、これは情緒的な感想です。)
パレスチナのごく普通の若者を等身大で描いた良作です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。