ヒッピーvs模範的アメリカ市民 [懲罰大陸★USA]

1971年 アメリカ

コンテンツ

あらすじ

 ドキュメンタリータッチの作品。アメリカ政府から取材を許可された各国メディアのクルーのカメラ視点でストーリーは展開する。

 1950年。国内治安法(マッカラン法)では、大統領は内乱が生じた際は国内治安の緊急事態を宣言することができ、危険人物を証拠なく議会の承認もなく拘束することができると定められている。ベトナム戦争反対運動の主導者たちがこの法律を根拠に拘束され、各地に設置された緊急国内治安裁判所で、政府から任命された地域の有権者たちが次々と彼らを裁いていた。彼らは弁護の機会を与えられたが、形式的なものにすぎず、何を言おうが最初から有罪は決まっていた。有罪判決と共に、彼らは複数年の懲役か3日間の懲罰公園行きのどちらかを選ばされた。当然のことながら全員が刑期が3日しかない懲罰公園行きを選んだ。

 懲罰公園とは、警官と州兵が政府転覆を暴力的に企てる破壊分子を制御するための訓練施設であり、同時に破壊分子に懲罰を与えるための場所であった。その実態は炎天下に広がる荒野だった。受刑者たちは、遥か彼方に設置されたアメリカ国旗のところまで徒歩でたどり着くよう命じられた。

 ただ歩くだけ、ではなかった。昼間は40度近く、夜は20度という厳しい気象条件の中、食料も水も与えられない。それに加えて追いかけてくる武装した警官や州兵に捕まってはいけないのだ。

 受刑者が出発し、追跡を開始するまでの数時間の間、警官たちはメディアに対して「力を振るわないが、暴力には対抗するよう命令を受けている」など、懲罰公園で行われていることが公正なものであることを宣伝していた。

 しかし元々反体制派の活動家が政府の説明を鵜呑みにするはずもなかった。警官らが自分達を殺すに違いないと考えた一部の者が待ち伏せして警官を殺害し銃を奪った。それをきっかけに様相が一転し、自衛のための止むを得ない手段という名目で警官や州兵による受刑者~つまり反戦運動家~たちの殺戮劇が始まった。

 出発してから3日後、脱水症状や警官の銃撃により次々と死んでいく中、奇跡的に数人がゴール地点であるアメリカ国旗が見えるところまで到達した……。

クリックするとラストが表示されます(ネタバレ注意!)
 若者たちの何人かが奇跡的にゴールの国旗のところまでやってきた。しかし、そこには警官たちが待ち構えていた。その場で静止するよう警告されたが、それに従わず前進すると、警官たちは彼らに激しい暴行を加えた。
憤ったテレビクルー達が詰め寄るが、警官たちは「金儲けしたいだけだろう」と耳を貸すことなく、カメラの前で暴行し続けるのだった。

感想

 裁判でのやりとりなどから、模範的(とされる)アメリカ市民とヒッピー(的な人々)が水と油の関係にあったことがひしひしと伝わってきます。愛と平和さえあれば人類は皆平和に共存できるというヒッピー、そんなヒッピー(的な人々)を社会やコミュティーに貢献せず自堕落な生活を送っているゴミとしか見ていない模範的(とされる)市民。既に双方とも相手を理解することを諦めているので、その間には激しい対立と憎悪しかありません。本作は各国メディアのクルーのカメラ視点という構図を使うことで、うまいこと中立した立場を貫いています。

 今どきの若者が観れば、多様性を認めない模範的(とされる)アメリカ市民に対して批判的な感情を持つかもしれませんね。だけど、当時は米ソ冷戦時代で明日にでも第3次世界大戦が始まり、人類が核爆弾で滅亡する可能性がある時代でした。私もリアルベトナム戦争世代ではありませんが、ソ連崩壊まで冷戦によるぼんやりとした不確実性に覆われた時代に育ちました。少しでも油断すれば敵国が侵略してくると皆が信じていたそんな時代に「戦いではなく愛が世界を救う」という美辞を叫ぶヒッピー(的な人々)を見て、「他人の庇護下でぬくぬくとして、綺麗事を無責任に放言している鼻持ちならないやつら」と考えるのが常識人とされる時代だったんだなーと思いました。

 観賞後、フェイクドキュメンタリーだと知るまでは、「そんな突飛なことがあったのか、さすがUFOを隠している国だけあって闇は深いなぁ」と思ってしまうくらいリアリティがありました。タイトルの真ん中に「★」が入っていてなんだかふざけているような印象を持つかも知れませんが、個性的な良作ですよ。

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